衣服の整理が苦手な人は
整理整頓の中で一番苦手なのが書類と衣服。
書類に関しては、不要なものをひたすら捨てて、最低限の分量に保つことでなんとか乗り切っている。この程度のことができるようになったのも30代後半になってからだ。それまではいつも、ぐちゃぐちゃの書類の山の中で過ごしていた。それでも、社会人デビューが1997年で、ギリギリPCが一人一台になった時代だったから、ファイリングというアクロバティックな技術とはあまり接点なく生きてこれたのは救いだった。
そして一生続くのが衣類との格闘。ちょうど衣替えの季節である。衣類の整理は以下の二つをルールにすることで、だいぶ楽にできるようになった。
①衣替えのとき、45リットル×3袋の服を必ず捨てる
衣替えの季節は、ごみ袋3袋分を「絶対に」捨てるというルールを設けて、必ず実行している。日頃、中古や安物衣料ばかり買っているからこそ、できるワザ。その季節に着なかったものを3袋捨てる。この思い切りを身に付けるだけでも20年ぐらいかかったと思う。
②その季節の服はすべてハンガーに吊るす。季節外の服は引出にしまう
オンシーズンの服を引き出しに入れてしまうと、一度も着ないまま終わってしまいがちなので、引出には入れない。吊るしておく方が、朝洋服のコーディネートを考えるのも楽。Tシャツからタンクトップまで、何でもかんでも、季節の服はすべてハンガーに吊るす。季節が終わった服は、①の通り処分した後で、すべて引出へ。だからうちにはハンガーが100本以上あって、常にフル稼働状態だ。
この整理整頓できないところは母親ゆずりだが、加えて左右の判別が苦手だったり、極度の方向音痴だったもので、子供の頃、発達障害を疑った母に病院に連れて行かれたことがある。今でこそ母親の基礎知識、常識ともいえる「発達障害」だけど、35年前の当時は、医者の方が「???」という感じだった。母はどこでそんな知識を仕入れて来たんだろう。結局何も診断されずに帰ってきた覚えがあるが、今病院に行けば、間違いなくADHDと診断されていた子供であったことは確かだ。
授業はいつも、不規則発言防止のために一番前の特別席に座らされていたし、机もロッカーもぐっちゃぐちゃ。忘れ物と遅刻の常習犯。女の子なのになんで!と叱られるのが一番嫌だったなあ。本人もどうしたらいいか分からないのに、そんなこと言われても・・・だ。
先日は、発達障害の利用者さんに「○○さんも、ちょっと発達障害っぽいですよね」と冗談まじりに言われた。あ、バレた?と返した(笑)。
でも時間がかかっても、それなりに生活のコツを身に着けていくと、年を重ねるごとに、人生って楽になっていく。それは間違いないかなと思う。
掃除が苦手で
子供の頃から整理整頓も掃除も苦手。だけど汚い家に住むのはもっと嫌だから、なんとなく片づける。
普段、掃除機は週1回、後はごみを捨てるだけ。日頃その程度の最低限の掃除しかやらないので、どっかでまとめて掃除をする必要がどうしても出てくる。あるとき、大晦日とGWに掃除をすると、だいたい半年ごとになることに気付き、それ以来GWと年末年始休暇の一日はお掃除の日と決めている。と言っても、おおざっぱに、頑張りすぎない程度にちょっと頑張るぐらいだけど。
昨年末は掃除業者さんを利用した。クーポンサイトで安くなっていたのだけど、5か所2万円とかの破格で、台所もお風呂場も洗面所もピッカピカにしていただいた。定価で依頼すると5万円ぐらいだろうか。数万円なんて、どこかに小旅行すればすぐに飛んでしまうから、こういうお金の使い方も悪くないね。
支援者へのハラスメント予防
ネットで探しても、なかなかこのテーマの情報に巡り合えない。障害者虐待防止法以降も、支援される方に対するハラスメント予防には様々な取組がされていると思うのだが、支援する側に対するハラスメント予防というのは、どうなっているんだろう。支援する側、される側両方に必要だと思うので、どこかにあるだろうと思って探すのだが見つからない。
支援者に対するハラスメントには、利用者側が無自覚な場合も多いだろう。何がハラスメントであるかを利用者側に文書化して、ハッキリと伝えることは、結果的に利用者を守ることにもつながると思うのだが。
支援者に対するハラスメントの定義とか、予防のためのチェックリストとか、よいツールはないだろうか。ゼロから作っていくしかないだろうか。
こうしたら支援者が困るだろうという言動を、あえて繰り返ししてみせる利用者とか、
支援者が時間を掛けて準備し、渡した資料を目の前でシュレッダーにかける利用者とか。
そんな話をよく見聞きする。
経験のある支援者であれば、うまくかわしたり、言うべきことを伝えたり、対処法を身に着けているものだが、経験の少ない支援者は、つい振り回されてしまい、互いの関係そのものがどツボにはまっていく。経験のある人が手を差し伸べるのが正解だろうが、すべてにおいてそれができるわけでもない。隠れたところにあるハラスメントは、やはり文書化されたツール等がないと、なかなか日の下に出にくいのではないだろうか。
ここしばらく、そんなことばかり考えている。
卒業礼拝
修士論文無事合格し、3月に大学院生活を終えました。長かった・・・。
入学の年に東日本大震災があったので、入学式は中止でした。だからせめてと思い、3月某日、卒業記念礼拝に出てきました。
新約聖書からコリントの手紙が読まれ、学長からのメッセージがありました。
コリントの信徒への手紙二 4章16~18節
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えて いくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。わたし たちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもた らしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。 見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
「私たちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。」
見えないものに目を注ぐ生き方ができますように。
経県マップ
ものすごく久しぶりにログインしたのは、
というのを作ったらブログパーツが出現して、それを見たらこのブログのことを思い出したからだ。
これが私の経県マップ↓
出張の多い仕事でいろいろな県に行ったけど、まだ行ったことの無い都道府県を数えてみたいと思ったら、こんなツールが出てきたのだ。
ピンクは住んだことのある都道府県、(生まれた東京、ずっと住んでる神奈川、子供のころ一時期住んでた愛知、仕事で赴任した広島)。
赤色は泊まったことのある都道府県、(ほとんど仕事で行っただけ)、
黄色は訪問したけど泊まったことのない都道府県、(埼玉、茨城、岐阜、大分、和歌山、三重)
白が未踏の都道府県で、青森、岩手、山形、熊本、宮崎だった。佐賀も含めると6県が未踏だった。
東北と九州に集中しているから、ちょっと頑張れば制覇できそう。魅力的に見える県ばかり。
いつか住みたい県も色づけできたらいいな。自分は断然、愛媛、松山。人も自然も食事も、不思議なくらい、自分にとってしっくり来る場所なんだ。
戦後の中央集権型の社会福祉行政と地方分権下において求められる社会福祉の実施体制
レポート課題用。PSW目指して勉強中の方々のブログを時々のぞきますが、学校によって課題ってずいぶん違いますね。ちなみに私は社事大の通信です。
中央集権(ちゅうおうしゅうけん)とは - コトバンク
“日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 中央集権ちゅうおうしゅうけん ある政治共同体において、一つの権力、一つの政府、一つの法律に基づいて政治が統一的に行われること。この意味では、現代の国家はすべて中央集権
2015/02/28 17:33
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
中央集権
ちゅうおうしゅうけんある政治共同体において、一つの権力、一つの政府、一つの法律に基づいて政治が統一的に行われること。この意味では、現代の国家はすべて中央集権的統治形態をとり、封建社会におけるような領邦国家の群立する分権的支配とは異なる。このような政治思想は、統一的な政治共同体の形成が、その領域内における政治的安定性を保持し、外敵の侵略を防止するうえで必要である、という認識と結び付いて生じてきたものであり、具体的には、15、16世紀ヨーロッパにおける絶対主義国家の時代になって登場した。しかしこの時代には、政治権力は国王や少数の貴族の手中にあり、国民の自由や権利は十分に保障されなかったから、市民革命後、近代国家が登場すると、権力分立制や地方自治制を確立することによって権力の過度の集中による専制化を防ぎ、人権を保障しようとする政治制度上のくふうがなされたのである。こうした関連の下で地方分権という語が生まれた。第二次世界大戦後、日本国憲法において、とくに「地方自治」という1章が設けられたのは、この憲法が国民主権主義をとっていることを表明したものといえる。もっとも、現代の福祉国家や社会主義国家においては、福祉・労働行政や軍事問題などを処理するために政府の比重が著しく肥大化し、権力の集中化が進行してきているので、中央集権と国民の権利・自由との間の矛盾をどのように解決するかが政治の重要な課題となっている。かつてブライスは「地方自治は民主主義の学校である」と述べたが、それとの関連で日本においても1990年代末ごろから、これまで「中央分権」と揶揄(やゆ)されてきた「地方分権」の改革が進められることになった。そして、2009年(平成21)9月に成立した鳩山由紀夫(はとやまゆきお)民主党内閣では、「地方分権」改革を一歩進めて地方自治体と地域住民の主体の下に地方政治を実現する「地域主権」主義を宣明した。[田中 浩]
福祉社会の成熟と地方分権は切っても切れない関係にあるのだが、障害者サービス受給者証の取得一つをとっても、自治体ごとにルールが異なる現状もちょっと困ると感じることがある。
特に本社から地方の各支店に向けて福祉に関する情報を発信するとき(メルマガ形式で週一回、全国のキャリアコンサルタント向けの情報発信をしているのだけど)、結局、どの制度を解説しても、「これは○○市の一例です。詳細は支店ごとに自治体に問い合わせてください」となってしまう。本社機能=中央集権型の仕事をしている人の共通の悩みだと思う。
コミュニティ・オブ・プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践
わかりやすくまとめている方がいたので
[書評]コミュニティ・オブ・プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践
実践コミュニティ
2015/02/21 23:43
■ 実践コミュニティの構造モデル
実践コミュニティの基本的な構造は「領域」、「コミュニティ」、「実践」という3つの基本要素の組み合わせになっています。
実践コミュニティはそれが所属する組織(企業)によって名称や形態が異なる*2のですが、著者らはそれらのコミュニティに共通した3要素から成る構造モデルを定義することで、実践コミュニティとその他のコミュニティの違いを明確なものにしています。
実際のところ、これらの要素について細かく見ていかないと、実践コミュニティが何なのかはなかなか理解しにくいように感じたので……それぞれの要素についてここで簡単にまとめておきます。
▽ 領域(domain)
領域とは、そのコミュニティで扱うべきテーマの定義のことです。
領域は明確に定義される
- 領域を明確に定義することで、コミュニティの目的と価値をメンバやその他の関係者に確約し、コミュニティを正当化することができる。
- 領域は抽象的な関心の対象ではなく、メンバが現実に直面する重要な課題や問題から成る。
- ただし、メンバは領域に対する見解を明確に表現できる場合も、できない場合もある。世界やコミュニティの変化に応じて、領域もまた徐々に発展していく。
メンバ間で領域を共有する
- メンバは領域の境界や最前線を理解することで、何が共有するに値するか、どのように自分の考えを提示すべきか、どの活動を遂行すべきかといったことについて、的確な判断を下すことができる。
- 領域に対するコミットメントのないコミュニティは、友人同士のグループに過ぎない。
▽ コミュニティ(community)
「コミュニティ」とは、特定の領域に関心を持つ人々の集まりのことです。
定期的な情報交換の場
- 実践コミュニティを築くためには、メンバが領域の重要な問題について定期的に情報交換する必要がある。
- メンバは定期的な相互交流を通して、領域に関する共通の理解や実践への取り組み方法を生み出す。
信頼感を醸成する場
- コミュニティが重要な要素である理由は、学習が理知的なプロセスというだけではなく、帰属意識にかかわる問題でもあるため、
- 強く結びついたコミュニティでは、メンバが互いを尊重し信頼しているために、自発的にアイデアを共有し、無知を露呈し、厄介な質問をし、注意深く耳を傾けようという気になる。また、意見の不一致があっても結びつきが損なわれず、逆に対立を利用して学習を深めることができるようになる。
自由な雰囲気を持つ場
- 実践コミュニティの成功は個人の情熱に負うところが大きい。そのため、参加を強制しても効果はない。
- コミュニティへの加入は自発的でも強制的でもよいが、実際に関与する度合いを決めるのは個々人でなければならない。
▽実践(practice)
実践とは、コミュニティのメンバが共有する一連の枠組やアイデア、ツール、情報、様式、専門用語、物語、文書などのことです。つまり、実践にはコミュニティの暗黙知と形式知の両方が含まれます。
共通の基礎知識の確立
- 共有された実践が果たす役割の一つは、ある特定の領域で物事を行うために正規のメンバ全員が習得すべき共通の基礎知識を確立する、というものである。
- 共通の基盤を確立し、既によく知られていることを標準化することによって、実践コミュニティのメンバは創造的なエネルギーをより高度な問題に傾けることができるようになる。
実践はコミュニティに蓄積される
- 文書やツールとして体系化できる知識(形式知)を共有しても、それを自分の環境に合わせて適用するには、同じような状況に直面する人々との交流から得られる暗黙知が必要(1990年代に、IT主導のナレッジマネジメントが失敗した理由)。
- 実践コミュニティは知識を単なる物体に貶めるのではなく、メンバの活動や相互交流を通して、実践という形でコミュニティの中に蓄積する。
また、上記の3要素は実践コミュニティを定義する要素であるだけでなく、メンバが実践コミュニティに参加する動機を表す要素にもなっています。
- 「領域」に関心があって、その発展を見守りたいがために参加する人
- 「コミュニティ」に属すること自体に意義を感じて参加する人
- 「実践」について学びたい人
実践コミュニティからイノベーションが生み出されるロジックについて書かれたものは無いかしら。