社会人でPSW(精神保健福祉士)とキャリコン勉強中のひと

社会人歴、はや20年近く。第15回キャリアコンサルティング2級技能士、第18回精神保健福祉士を同時に受けた時の記録とか、社会人入学から4年かけて卒業した大学院の話題とか。

知的生産の技術/梅棹忠夫「発想はメモに残す」「複写を残す」「ノートからカードへ」「線の引き方=二重読み」「読むと”みる”の違い」

新しい実用本ばかり読む自分にとって、1960年代の書籍を最初から最後まで読了するというのは珍しい経験かも。だいたい皆同じ感想を持つと思うが、知的生産の技術は、時代が変わっても原理原則は変わらないことを認識させる。以下印象に残ったところをピックアップして感想を残す。

 

知的生産の技術 (岩波新書)

 

「発想はメモに残す」

ヒラメキやアイディアを宇宙線に例えていて面白い。<誰の頭にも平等に宇宙線は降り注いでいるのに>、メモに残す人と残さない人がいるという表現。梅棹先生にはカードと万年筆があった。我々にはスマホがある。Evernoteがある。ブログがありTwitterがある。これ以上ない検索性。ありがたい時代だなと思う。

 

「複写を残す」

この時代、複写といえば、ペンと紙で書き写すことを言った。<提出論文の複写>って今と当時の違いを想像するだけで気が遠くなる。現代に生まれてよかった・・・。

 

「ノートからカードへ」

ノートからカードへ整理法を変えていく過程は丁寧に書かれていて、とても納得感の感じられるものである。工夫、こだわり、思い切りの積み重ね。この方の場合、周りの研究者のやり方を取り入れたり参考にしたりと、本人も友人に恵まれていると書く通り、周囲との切磋琢磨による工夫改善が優れている。そのうちの一人にKJ法川喜田二郎がいるというのも素敵すぎるエピソードです。

 

「線の引き方=二重読み」

読書時に、2本以上のペンや色を使い分けるとき、そのルールが人によって違うのが面白い。梅棹は、「大事なところ」と「面白いところ」で線を引き分けるという。前者は筆者の主張に追随して感心したところ、後者は読者である自分の感じ取ったこと。後者を「筆者とは別の『あらぬこと』を考えながら読んでいることの証拠」とした表現が面白い。本を二重に読むということ。割と誰もがしていると思うが、プロになるほど、聞かれて答えられるような明確なルール化があるように思う。

院に、「納得したこと」と「納得できない腹が立つこと」の二色に引き分けているという先生がいた。社会学の先生っぽくてこれも面白いね。

 

「読むと”みる”の違い」

耳の痛い話。本は最後までしっかり読了するものと、つまみ食いして読むものがあるけれど、前者を「読む」として、後者は「みる」とする。本にはその構成も含めて著者の思考体系があるわけだから、「読んだ」本でないかぎり、少なくとも批評はしないという。これは現代社会への教訓と思う。ネットにおけるキュレーション(まとめサイトみたいな)の盛り上がりで、情報とはつまみ食いする(べき)ものだと、いつのまにか道理となってしまった気がする。ナナメ読みならまだいいが、目次を見て関心の無いところは読むなと指南する者までいる。論文だってアブストラクトと本文の最後しか読まなかったりするのは当たり前。でもそれじゃ本質に触れたことにはならないんだよね。確かに。

”みた”だけで、偉そうに本を語らない。