「修士論文はここを見ますよ。」
今日は都心から一時間以上の郊外のキャンパスまで出かけて、指導の先生(コース主任教授)と二人の先生から論文指導を受けてきました。もういい加減に卒業してください空気みなぎる教授室。学部生並みの丁寧な指導。絶賛修正中です。提出最終期限まで1か月を切りました。
指導教員からのしめくくりアドバイス。
「論文はここを見ますよ。
①自分が明らかにしたいと最初に述べたことと、最後の考察との因果関係が明らかかどうか。最初と最後がつながっているかどうか。
②どうしてそういうことが言えるのかという結果がきちんと記述されているか。これはこのデータに示されている、これはこのデータに示されている、というように、分析したことがらをまとめられているかどうか。
①と②をうまく仕上げるには、M-GTAを使った論文を参考にするのが一番よい。
③参考文献や引用などの書式、論文記述ルールが正しく守られているか。
わかりましたか?もうね、ちゃんとやってくださいよ。」
今更こういう指導を受けている時点で、どれだけ雑な論文を提出していたのか。はい、すみません。いろいろ忙しかったとはいえ、本当に不真面目で雑でした。先生の言葉の一つ一つが身に沁みます。
データのまとめ方が雑だからやりなおせと連絡を受けたのが年末。それ以来、データをもう一度丁寧に見直すところから再スタートし、GTAやM-GTA、先行研究の理論本にも目を通しつつ、コタツにこもって、正月休みの9日間、ほとんどデータと共に生活を送っていた。もう、寝ても起きてもデータと一緒。食事のときもデータと一緒。
データとの同棲3日目ぐらいから、データの行間が見えてくるというのか、いろいろな新しい発見とか発想がでてくるようになった。データがしゃべりだした、といったら大げさか。GTAもM-GTAも、データをとにかく丁寧に見ることを推奨している。そうか、論文はデータが大事なんだ。(なんだ今さら)。
データが我が子のように大事に思えてくると、分析も俄然、楽しくなってきた。