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社会人でPSW(精神保健福祉士)とキャリコン勉強中のひと

社会人歴、はや20年近く。第15回キャリアコンサルティング2級技能士、第18回精神保健福祉士を同時に受けた時の記録とか、社会人入学から4年かけて卒業した大学院の話題とか。

M-GTA(修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ)が理解できなかった理由

もう3年以上前になるが、東大の本郷キャンパスで行われたM-GTAのフォーラムに、院のゼミ仲間数名と参加した。M-GTAの生みの親である立教大学の木下康仁先生ご本人が直接主催されていたものと記憶する。

サラリーマン(女だけど)院生で、質的研究について知識が全くなかった私は、まず自分の院の基礎講座をいくつか取った後ではあったが、正直M-GTAについてほとんど理解できずに一日を終えた。

帰り道、そうだったのかー、なるほどー、いや参考になった、等とつぶやき合うゼミ仲間の中にあってただ私は、東大の学食のあんかけヤキソバが美味しかったというぐらいの感想しか持たぬまるで遠足帰りの児童のようであった。(文学調で)。

あの時理解がさっぱりだった理由の一つとして、あれはフォーラムであったので、当時の私はGTAとM-GTAの比較とか何が論点とかそういうことが全く頭に入っていなかったことが考えられる。GTAを産みの苦しみとして存在するのがM-GTAではないだろうかと、最近になってやっと分かって来た。(ある意味当たり前であって、理解が遅すぎる)。でも今こう思えるから、フォーラムに参加したあの一日は決して無駄ではなかった。

これからM-GTAを学ぼうとする人にも、いきなりM-GTAの本を読むことはお勧めしない。まずGTAをとっかかりとして、GTAの論点をイメージできるようになって、そこからM-GTAに入ることをお勧めしたい。

特にサラリーマンであるなら、GTAの論点を理解しやすいのではないかと思う。GTA帰納的分析法である。帰納的と演繹的を往復するものだとしても、その基本は帰納的な発見である。データを全て切片化して(要はバラバラのパーツにして)、ゼロから組み直しながら概念を生み出すというGTAをサラリーマンが体験するなら、「会社でこんな仕事のやり方したらクビになるな」と言うことをまず考えるのではないだろうか。主観が勝って申し訳ないが、努力家タイプ、だけどあまり要領の良くない新卒学生の一部がやりがちな仕事のプロセスがGTAと似ている。

決してGATをディスる訳ではない。要は、サラリーマンはGTAを体験することで、サラリーマンと研究者の違いを見せつけられる。多くのサラリーマンはいわば結果が全ての世界で生きている。結果を生み出す根拠が求められることもあるけれど、それも結果ほど重要ではない。時には根拠など全くなくて、勘とか慣れとか慣行とか、はては職業威信とか地位とかそんなところが根拠になることがまかり通る。(いや大学院もそうだよという人もいるであろうが)。社会人院生は、サラリーマンモードと研究者モードを行ったり来たりして過ごすのであろうが、それでもGTAの世界に完全に浸かりきれない。

その苦しさを少しでも体験したとき、それをGTAの論点として理解することによって、M-GTA(修正版=実践的グラウンデッド・セオリー・アプローチ)の考え方に近づくことができるようになった。ここ最近私が辿ったのは、そのような経緯だったのではないかと思っている。